高校生時代(1979-81)にはローカルのOM諸氏、そして同年代の仲間達と技術談義をしたり、一緒に製作をしたりなどして、遊び学ばせていただきました。
上級資格へのチャレンジも、そうした触発がなければなかったと思いますし、単純に「電話級の次は電信級」と思ってしまっていたと思います。(電話級→2アマでした)
当時はインターネットはおろか、パソコンも高嶺の花でしたから、もっぱらアナログな手段。雑誌(分厚くて広告がいっぱいだったCQ誌、Hamジャーナル、モービルハム、初ラ、ラ製)か、QSOか、サークルか、アイボールが情報交換の中心でしたね。(**初ラ、ラ製ってもはや通じないかも)
いまはWEBサイトからいっぱい情報が入手できます。それはもちろんメリットに違いないですが、実物ではありません。
現実の出会いには「あんなもの実現したい、作りたい、資格取得したい」という、「湯気の上がるような」好奇心や意欲の喚起が起こるように思います。
QSTを毎号読んでいるわけではないのですが、夏に渡米した際にQSTとUS-CQを買って読みました。アメリカではこのへんのリアルな関係が大切にされていて、ARRLもそこへの「仕掛け」をやっているように思います。
ユース世代への振興も上手です。「ピチピチの10代おねーちゃん」がARRLから「ユース世代地域コーディネーター」として委嘱されていました。脱帽。